学歴について、どれくらい重視して考えるべきか。学歴研究家のじゅそうけんさんは「日本はバリバリの学歴社会である。多くの大企業は『マーチ以上』に設定された暗黙のルールをとりあえず設けている。
野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太竜王・名人など、常軌を逸した才能の持ち主でなければ、無難にできるだけ難関の大学に行っておくべきだ」という――。
日本の「学歴社会」ですが、私は現在でも、というか現在の方が日本はバリバリの学歴社会であると感じています。特に出身大学は重視される場面が多いと感じます。
その理由としては大きく2つあり、1つ目は進学率、就職、所得といった目に見えるデータに表れている点、2つ目は評価、アイデンティティ、エンタメといった数値化しにくい部分にも表れている点です。
まず日本が学歴社会である証拠として、こんなデータを挙げてみます。
文部科学省の「学校基本調査」によると、大学進学率は1991年には25.5%でしたが、2023年には57.7%と、ここ30年で2倍以上に高まっています。
国民の半数以上が「とりあえず」大学に進学する時代であり、この傾向は今後も続くでしょう。
また厚生労働省の賃金構造基本統計調査をもとに算出したデータによると、学歴・男女別の年収は図表1の通りです。
男女ともに大卒・大学院卒の年収が最も高くなっており、学歴と年収には相関がある学歴社会といえるでしょう。
インフルエンサーの中には、「大学なんて行く必要ない」 「今の時代学歴なんてなくても成功できる」などと言っている人もいますが、そう言っている人に限って難関大学を出ていたりします。
野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太竜王・名人など、常軌を逸した才能の持ち主でなければ、無難に(できるだけ難関の)大学に行っておいた方が良いというのが私の持論です。
さらに同じ「大卒」の中でも、就職の際は「学歴フィルター」によって、もっと細かく選別がされています。私が勤めていたM銀行でも、法人営業を担う総合職はほぼ全員がGMARCH以上でした。
参考までにダイヤモンド・オンライン調べの、「三菱商事 採用大学ランキング」を載せておきます(図表2)。このような「マーチ以上」に設定された暗黙のルールは多くの大企業がとりあえず設けていると考えられます。
次に数値化しにくい分野でも、日本が学歴社会であると感じる点は多々あります。
最もわかりやすく生活に溶け込んでいるのは、「印象」面でしょう。建前として「学歴が全てではない」「学歴は関係ない」という宣言をする人も、心のどこかで相手を学歴で判断してしまっている側面があると思います。
例えば同じ「寡黙な」人がいたとして、その人が高学歴であれば「冷静で思慮深い」という良い印象を抱くでしょうし、反対に低学歴であれば「暗くて陰険」といった悪い印象を抱くかもしれません。
結局、ほとんどの人は自らの物差しで相手の実力を判断することなんかできず、「学歴」「職歴」といったわかりやすいフィルターを通して他人のことをわかった気になっているのが現実なのです。
また他人との交流ではなく、自身の内面や自己決定といった面でも、学歴は重要な役割を果たしていると感じます。例えば幼少期から勉強が得意で、受験でも良い結果を残した人は、なるべく知能を生かすような仕事に就きたいと考えるでしょう。
高学歴な人が自発的であるにせよ何らかの事情があるにせよ、高学歴者が少ない仕事に就いた場合、「○○大学を出たのに」といったコンプレックスになる場合も多いと思います。
X(旧Twitter)では、高学歴なのに大企業でうまくやっていけずフリーターになってしまったり、ニートになってしまったりした人たちが悲痛な叫びを上げています。
このように日本社会では今でも学歴が重要な役割を占めており、進学率や所得といった明確なデータに表れています。
また私は以前、仮面浪人・再受験専門の学習塾を経営していたのですが、日々「学歴コンプレックス」を抱えた人々からの相談を受けていました。
このような経験からも、目に見えなくてもその人のアイデンティティを形成する重要な要素としての「学歴」を実感しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/701733355686e51dc349bf5b652dc7a702545b99?page=1
でも実際はコンプレックを拗らせてる人達なんじゃないかと邪推してしまう
マーチの偏差値が30になろうが、三菱商事には入社できるでしょ
官僚もそうね。体力勝負だしね眠る時間ないし
商社なんかは気にするようだけどな
マーチ以上の学生は優秀なのが多いからだろ
三菱商事の社員は30前後で年収1000万以上だろうし
営業とかマーケティングとか仕事ができなければ勤まらないからな
明治・青山・立教が二流大学のトップ層
大手に入り込めるからコスパすげーいいぞ